神着、利八屋の持論(2)

この災害は「時間の災害」だな。

 このごろ、挨拶が変わったのよ。
ちょっと前までは、「おめー、なにしてんだ」って聞いても「いやー、なにもしてねーよ」って言ってたんだよな。すぐ帰れるかと思ってたからな。

 でもよ、最近は「仕事を探さねーとな」って言うのよ。この災害が長引くって、みんなわかりはじめたのよ。
 でな、この災害はな、時間との勝負なんだよ。震災みたいにドンと壊れちまって、で、それから復興がはじまるっていうもんじゃねぇ。じわじわとな、帰れねえ日が長引くと長引くほど被害が大きくなる、そんな時間の災害なんだよ。

島に帰ってからのことを考えろ

 たとえばよ、うちは食料品だから、半年で帰れれば、腐った食品や賞味期限が切れた食品を捨てて新しく仕入れればなんとか営業を再開できるね。それでも1000万ぐらいかかるな。


 でもよ、これが1年とかになってみな。今度は冷凍庫を取り替えたりしねえといけねぇかもしれねぇ。
 半年ならペンキを塗れば修繕できる屋根も、1年とか2年とかたてばトタンを張り替えなくっちゃいけなくなるかもしれねぇ。1年以上経ったら、1000万じゃ、とっても足りねぇ。2年経ったら、島に帰れねぇ人が何人出るか。
  その人が帰るためにはどうすればいいのか、それを今のうちから見極めて手を打たなきゃいけねぇ。


 清漁だって、帰ってすぐには、腐っちまったくさやと仕入れてあった魚を何トンも捨てなくっちゃいけないだろ。一人でそれを片付けるところから仕事が始まるわけよ。そのときのことを考えてみな。
 干物作りからはじめて、だんだんくさやのタレを育てて、、、何年もかかるだろ。 なんぼかかるかをみんなにわかってもらわなくっちゃいけねぇ。

取り替える畳の枚数、布団の枚数を数えとけ。

 たとえばよ、畳。来年梅雨が明ければ、畳も腐る。民宿ならよ、布団も取り替えなくちゃいけねぇ。島に帰る日が遠くなればなるほど、取り替えなくちゃいけねぇものが増えるのがこの災害さ。「さぁ、帰りました、で、どうすればいい?」って慌てて島を捨てるのさ。

 だから、 ここに避難してるうちに考えなくっちゃいけねぇ。準備しておかなきゃいけねぇ金や人や物がだんだん増えるのがこの災害さ。災害と復興が平行して進むのがこの災害なのさ。


 安心して帰るにはどうしたらいいか。1年後なら畳は何枚、2年後ならトタンは何枚、必要な金はどれだけ、って考えておかなきゃなんねぇ。それを想像できなくっちゃ、この大災害は乗り越えれねぇよ。
 井戸だって使えるかどうかわからねぇ。掘りなおすのか?全部水道に切り替えるのか?

そのためになにが必要か、今からいろんな人の知恵を借りて考えていかなくちゃいけなぇのが、この災害なんだよ。

シロアリはガスで死ぬんか?

 松と杉が枯れたってな。あれはシロアリの巣になるぞ。帰ったはいいが、家はシロアリにやられてるかもしれねぇ。山の木はよ、みんな枯れてる。根が枯れて山が荒れるのは、5年6年経ってからかもしれねぇ。大雨でも降ったら土石流が出るぞ。んじゃ、今のうちに、イタドリでも禿山に植えておくか、そんな算段もしておかなきゃいけねぇ。

山や草地に詳しい人に今のうちに相談しておく。それが安心して島に帰るためのプログラムだよな。 そのプログラムを考えておかなくっちゃいけねぇ。

都道より村道、必要なのは家のまわりをどうするか。

 野田君はさ、前が村道だから、自分で「砂(灰)取り」からはじめねぇといけなぇよな。都道はよ、都がきれいに直すのははっきりしてるのよ。だけどもよ、自分の暮らしに一番近いのは村道なのよ。村は村道で暮らしているわけなのさ。
 でも、視察のバスで走っても、ヘリで飛んでも、走るのも写すのは都道ばかりなのさ。


 川田のダムはあふれはじめたって言ってたな。伊ケ谷の鉢巻から上の森林組合の伐採後あすこも心配よ。
 都道からは見えねぇところこそ、危ねぇんだ。

 

具体的な暮らしから考えねぇといけねぇ

 島魂もね、そうした、家から考える、村道からから考えるってことをしたらどうかな。
 そろそろ、具体的な暮らしの側から物を考えていったほうがいいんじゃねぇのかな。


 それは誰も考えてくれねぇ。だけど島に帰れるかどうかはそこで決まる。
 今のうちから、帰るときのことを考えて、たとえば畳や布団の枚数や、ペンキの量やトタンの枚数を数えるのが、島魂しかできねぇことじゃないのかな。


 おめら、島から出るときに「一緒に島に帰るその日まで」って、ここに書いていたじゃねぇか。だったら、それをやれ。
  俺は相談にのるし、コンピュータも覚える。


 IBMのノートPCを手に入れて、姪に手ほどきを受けて使いはじめようとしている利八屋は現在、足立区の団地に避難している。

2000年11月14日 文責 藤井